7/06/2020

差別と、偏見

まだまだアメリカはシェルターインプレイス中。
わたしは変わらずSIPをする場所に通っているので
毎日、お弁当。
そこでパソコン作業もピアノの練習も
オンラインレッスンの仕事もします。

アメリカで広がったBLM運動。
でも差別はColorやRaceだけではなく、もっと身近なところにあります。
わたしは普段はあまりネガティブなことをブログに書かない主義だけど
友人たちのためにすこし思うことがあり、
ちょっとジェーンオースティン風のタイトルにして書いてみます。
こんなちっぽけなブログで発信したところで何もならないのだけど。
まぁ、ひとりごとかな。

日本ではみんなとちょっとちがうと
あの人は独身だ、子どもがいないからね、引きこもり、と
ジャンルのようにひとくくりにして色眼鏡で見る人が
いまだにたくさんいます。
その人の人生に何があったのかよく知らないのに
自分の物差しで測って比べていろんなことを言っていたり。
そしてわたしの見てきたかぎり
ほんとに苦労してきた人ほどわりと黙っている傾向があって
自分は大変だったんだぞ、と主張しないものです。
(尊敬します)
わたしの独身のお友達はみな、一家の大黒柱のように働いて
実家を支えてきたけなげな、やまとなでしこです。
親友のK子は、家業の仕事と親の看病で
過労で自分が体調不良になり、もう何年も自宅療養生活。
Rちゃんはお父さんがいなかったので若い頃から
苦労してきたお母さんをささえてきました。外からはわかりません。
独身は家でラクをしているんだろうといった偏見のある人は
きっと自分がそうだったのだろうな、と思うことにしています。
やっぱり男性も女性もその人の立ち場になってみる
優しさ、思いやり、なのだと思う。
もしかしたら自分だって、その状況だったかもしれない、のだから。


浅草の友人Mさんが
描いてくれたわたしの絵。
額に入れた床山の手ぬぐいも、彼女から。
素敵な女性です。



わたしは子どものころ引っ越しや転校が多かったので、
わたしにとって友達とは同級生や幼なじみではなく
短い期間でもわたしに優しくしてくれた人です。
どんな状態、状況であっても見下したりしない人が友達だと思っています。
わたしはおせじも使わないし、タモリさんじゃないけど
べつに友達なんていなくてもいいのだ、というスタンスなので
かえってほんとうの友達が残ったと思っています。

作曲家のラヴェルは友達思いの優しい人でした。
戦争でなくなった友人たちに捧げた『クープランの墓』や
今よりもっと差別のひどかった娼婦やLGBTの人たちのことを描いた『鏡』
など社会的に弱かった立ち場の人たちのことを音楽にしています。
ピアノのテクニックや音だけ弾くのではないのです。
(うまくても子どもに弾かせるのは賛成できません)
心の痛みのわかる優しい人はたとえテクニックがつたなくても
きっと音に出るはずです。